ひとりごと

健康

 独り言です。読み流して頂ければと思います。


2006/2/16
カメラ付き携帯で最期の顔パチリ
   新聞に「カメラ付き携帯で最期の顔パチリ 困惑派・理解派」と云う記事が出ていた。
あなたは、どちら派ですか?この記事を読んで、まず、「撮ってどうするの?」と思った。
 先々写真は記念、思い出、記録の要素を持つのであろうが、携帯で写真を撮る人は、亡くなった人の思い出を残しておきたいと考えて撮るのであろう。しかし、故人の思い出に、その人の死顔を仏壇や写真立てに飾るのか?
 (その後の写真の行き先である。20年後、50年後写真を撮った人が亡くなった場合の写真はどうなるのだろうか?写真はデータなので不要に成れば、邪魔になれば消せばよいと考えているのだろうか?)
 粗末に扱われないかと心配している。
 「死顔を撮る」という行為そのものが、死者に対する冒涜と感じるのは、私だけでしょうか?
 亡くなった人との思いでは、楽しかった記憶の映像だけで充分ではないだろうか。たとえそれが年々薄くなろが、記憶に面影を留め、墓参りなどを通じ故人を偲んではどうだろう。

2006/5/8
希望はニート
 新聞を読んでいたら、こんな記事が目に入った。 記事には
 「40歳を目前にした女性から相談を受けた。小学3年の長男に将来の夢を聞いたところ「ニート」という返事が返ってきた。ちゃんと言葉の意味を理解した上でのことで「好きなだけテレビゲームが出来るし、疲れなくていい」とその理由を述べたという。
どう反応していいのか母親の方は一瞬わからなくなった。」というのである。

 ニートになる為の前提はなんだろうか?
 親が元気でそこそこの収入があり、当面の生活に困っていない。
こんなとこだろうか?
逆に、この前提が崩れるとニートな生活も不可能となり、途端に生活保護をもらうか、浮浪者者、はたまた、ヤバイ事をやって生活費を稼ぐくらいしか思いつかない。
 ご両親が元気なうちに、お子さんは将来自立出来るためのトレーニング期間と位置づけてはどうだろうか。
 確かに、習い事には沢山通っているお子さんも多いと思う。将来の為と思い、高い月謝を出しているのでしょう。しかし、二十歳過ぎてやっと一人前に出来たと思ったら、ニートとは親御さんが浮かばれない。
 色々な事情は有るにせよ。現在ニートの環境を維持出来ている、恵まれた方々は、将来(すぐかもしれないが)、周りの環境が崩れて、あわてない準備をしてはどうだろうか?
ゆっくりでも自立のための準備は皆が応援してくれると思う。

2006/5/30
  「離婚社会」と子供たち
2006/5/19の新聞にこんな記事が出ていた。

 現在の日本は未成年の子供を伴う離婚が年16万件(04年人口動態調査)に上る「離婚社会」がある。養育費の支払いや子供との面接交渉をめぐる父母間の紛争も増加する中、子供のために社会的な手立てが必要になっている。

 私の友人や同級生も離婚を経験した方がいる。
事情はいろいろで、離婚による子供への影響が計り知れないようだ。
特に子供さんが小さく父子、母子のみ(祖父母との交流がある場合と)での生活になる場合は子供の心の変化までなかなか気が回らないのが現実のようだ。

 さすがに危惧した裁判所は、離婚前後の子供の視線から見たDVDを制作し、離婚に直面した両親に対し、子供を最優先に考えるよう促すしている。
裁判所が危惧するくらいに深刻な状態のようだ、

 DVDの内容は『小学1年の「えみちゃん」の両親は、仕事と育児をめぐる意見の対立が絶えず、母親が離婚を決意したという前提で始まる。
 カメラはえみちゃんを追う。えみちゃんは「映画を見よう」と両親をテレビの前に誘い、間を取り持とうとするが、応じない。そっと部屋のドアを閉め、一人で映画を見る。
別の日の夜、別室から養育費や親権をめぐって両親が言い争う声が聞こえる。
「教育費を払える方が育てるべきだ」「足りない分はあなたが払ってくれればいい」。
えみちゃんは祈った。「きっと自分のせい。いい子になるので離婚しませんように」
 その後、えみちゃんは不安がストレスになり、学校でかんしゃくを起こすなどして不登校に。
父親の父(祖父)が「調停を申し立てる方法もある。いつまでも角を突き合わせれば、えみは不幸せになる」と2人に助言。
両親の離婚に直面した子供に起こり得る心身の変化がリアルに映像化されている。』

 競争社会で働いているご両親のストレスがそのままお子さんのストレスとなり、いろいろ不幸な原因をつくることは想像しやすい。
なんとか「子供の幸せを最優先に」ならないものかと思う。
子供は親を選べないのだから。
2006/6/30
地球にやさしい地産地消
 日本のコメ消費量は今季(平成18年)794万トンの見込みだが、トウモロコシの消費量(つまりは輸入量)は、はるかに大きな1640万トンが見込まれる。
(米農務省統計によると)むろん日本人は主食にトウモロコトを食べているわけではない。
家畜の飼料となり、肉やミルクとなり消費されている。実質主食はトウモロコシなのだろう。
輸入先の米国では最近の原油高騰から、トウモロコシの一部を環境にやさしいエタノールとして消費する方向で調整の動きがあるらしい。
何せ米国ではガソリン価格が危機的な高値だと騒いでいるらしい。
米国でいう高値とは1ガロン=3ドル、つまり1リットル=90円だという。
肉がダメなら魚にと思うが、折からの日本食ブーム(各国は医療費抑制効果が顕著なことからこのブームを国策で実行している国もある)で今まで日本に輸出していた各国が自国での消費を増やしていると聞く。「日本は自給率の低さをそろそろ本腰で対応しないと子供や孫の時代には食べるものが無いかもしれない」、などと考えるのは取り越し苦労なら良いのだが、
まずは国内産地の物を買うことに心がけよう。地球にやさしい地産地消でしょう。
本当にいろいろな人のお世話になり、食事を頂いていることを実感します。
2006/7/31
中国経済過熱の果て
 中国経済の異常な過熱ぶりが明らかなようだ。なんせ投資の伸びが30%を超えているようで、その投資の原資の供給元である人民銀行に加え、来年からは外国銀行にも人民元ビジネスが認められ、貿易黒字も大幅に拡大の基調である。日本の国内総生産の半分しかない中国の貿易黒字は日本を越え、2000億ドルに達しようとしている。
 何事も急いでは事をし損じるが如く、摩擦を最小限になる様に知恵を出してもらいたい。
何せ隣の国ですから、日本にも少ならず影響が出て然りである。
と思いつつ特に何かをする手だてが無いのが現実だ。
割り箸でも買い置きしようか。
2006/9/23
『衣食足りて礼節を知る』と言うが、
『衣食足りて礼節を知る』と言うが、
毎日のニュースには衣食足りても礼節を知るのは難しいことを現実が示しているようです。
一方、今の日本は本当に物質的豊かと思います。
この豊かさも、ほんのここ数十年のこと、もともと資源の少ない日本ですから
平生から地道な用意が必要と思うのですが、なかなかそうできないのが常ですね。
 世界的には大変景気が良いようです。ここ数年の世界GDPの伸びは5%前後で進んでおり、
成長が3年を超えたというから驚きだ。人口も毎年6000万人は増えているというから、
いろんな資源(石油やレアメタルなど)が足りなくなって、価格が何倍かになるのもうなずける。
そのうち、小麦などの農産物に波及するのではないかと思う。
日本の農作物自給率は大変良くないのは知っているが、
近くのスーパに行っても商品が整然と山積みされていて、なかなかピントこない。
スーパでの買い物は地産地消に心がけ、自坊裏の自家菜園でも励もう。
2006/10/15
四苦八苦と言うが
 四苦八苦の四苦は、ご存じのように自分では変えられない「生、老、病、死」ですが、八苦は四苦を含み、日常生活から生じることですから変えられる「愛別離苦、怨憎会苦、求不得不、五蘊盛苦」と、いろいろな苦しみですね。学校で習いましたがすっかり忘れていて、再度あーそうかと意味を思い出してはいるが、二十歳の時分と違いずいぶん同じ文字を見ても受け止め方が違っている自分がいます。個々の説明は省略しますが、、個人の努力では変えられない、思い通りにならない苦しみ(だから苦しい...)、ではどうするか?現状を受け容れ、自分の出来る範囲で地道にやっくてくことしかない。これもつらいですね。
「苦」の本質は、自分の思い通りにならないことだから...。なかなか実践となると難しいです。
2007/8/31
割り箸について
 ネットニュースやテレビにて中国製品の品質について色々な不備が報道されています。その中でも割り箸が最近気になります。報道によると98%(約240億膳)近くが中国製とのこと、その製作過程で
 @中国製の割り箸には、「見かけを良くするために漂白剤」や「防カビ剤を使用」
 Aこの他にも乾燥や艶出しの化学物質などを使用
 これらを出荷時に洗浄せずに出荷している様です。
 中国も自国の森林保護の観点もあり木材の出荷規制を強化している最中ですし、この際、My箸を持参し安心した食事をしては如何でしょうか。
 それでも割り箸を使いたい方は、「財団法人日本食品分析センターの割り箸安全認定マーク付きの割り箸」を使ってはどうだろう、抜き取りで検査し問題無いものに認定を付けているようだ。全数で無いのが気にはなるが無いよりましと思う。
 やはり、少しの手間で環境に優しく、健康にも良い。 My箸がお勧めですね。
2008/4/29
中国製冷凍餃子事件に思う
 今年に入って、中国産冷凍餃子に毒性の強い「メタミドホス」混入のニュースが流れている。中国国内での毒物混入か、流通中の日本国内での混入かで捜査は遅々に進まない。これを受けてか中国は、日本への輸出を今年の秋まで自粛することが報じられていた。これは北京オリンピックへの影響を最小限にするための処置なのかと私は思っている。 冷凍餃子事件の煽りを受けてか関連の冷凍輸入食品も随分と減少しているニュースが報じられていた。時を同じく、石油や鉄鉱石および穀物など色々な物が上昇し消費者物価指数を押し上げている。このまま何処まで上がるのか恐ろしいくらいだ。

 現在、日本の食料自給率は四〇%を割り込み、国内で消費される野菜の六割が中国からの輸入に頼っている。 方や中国の人口状況を見ると、一人っ子政策などを実施している中で現在の人口を約一三億人とすると人員年齢別構成からして西暦二〇三〇年から二〇五〇年には最大一六億人となる統計があります。ざっくり三億人が新たに増えることになる。これはおのずと食料輸出国から輸入国(一部の穀物はすでに輸入している)となり、日本へ現状の様な価格と品質での輸出は難しくなることが想像されるが、なかなか次の手が見つからない。
2009/3/8
悔過(けか) 過ちを懺悔する
 懺悔文はいつも読む、お経の中に出てくる。
我昔所造諸悪業、皆由無始貪じん痴、従身語意之所生、一切我今皆懺悔
意味はこうである。『我昔より造る所の悪業は、皆、無始(昔)よりの貪じん痴(煩悩)によるものです。身と語と意により生ずるところの、全ての罪を我は今ここで懺悔します。』
                               華厳経普賢行願品  略懺悔
・私の使っているパソコンの辞書も懺悔の読みを「ざんげ」でしか変換しないが、懺はサンスクリット語のKsamaの音訳であり、悔もサンスクリット語のKsamaの意訳であるので、読みとしては「さんげ」が正しいように思う。辞書をしいても「ざんげ」で引くと「さんげ」を見ろと書いているので気をつけたい。
・罪には@善業・・・・・・・良い行い
     A悪業・・・・・・・悪い行い
     B無記業・・・・・良くも、悪くも無い行為
 無記業は人間活動の、歩く、呼吸する、座っているなど無意識の行為などである。
・この無記業については、意識して善業に成るように心がける事が肝心のようです。なぜなら、
 @業は相続する
 A罪も功績も未来に残る
よって、罪を犯した場合は、しっかり懺悔をしなければ成りません。
犯した罪は、消えないので、犯した罪以上の良い行為することです。
 我々は各自のからだを維持するために限りない他の生物をいただき、自身を生かさせて頂いています。日々の罪を悔い改め、今後の生活を過ごしていきたい。
2009/4/25
観心十法界について
 華厳経にでてくる、心の動きを説明している一説があります。
 若人欲了知 三世一切仏 応観法界性 一切唯心造
 葬儀から四十九日までの間に閻魔さまに次の修行の場を決められるのですが、その世界を六道といい、地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人間界の六つの世界です。現世に於いての行いを七日毎に判定し、7回目の閻魔さまで次の世界を決定します。この決定に従い、人は死ぬと六道のいずれかの世界に生まれるとされています。この六道とは別に声聞、縁覚、菩薩、仏界を入れて十法界と言い、人の心は色々な事柄で怒ったり、笑ったり、怒ったり、嫉妬したりと忙しいのですが、いつ如何なる場合でも平常心を持ち、仏の気持ちで物事に当たりたいものです。ついつい、腹が立ちますと自分の顔は鬼(怒っているところを写真に撮ると良いでしょう)のようになり、周りの人を不愉快にします。そればかりか、いくら怒っている事が正当化されていたとしても、立場立場で逆恨みなど、とんでもない事の原因に成る事もあります。
 心は瞬間に、コロコロ変わり仏界にも地獄界にも瞬時に移り変わります。それが縁として、色々な結果(悪行は地獄へ、良行は仏界へ)が現れます。いつも自身や周りの人たちに良い結果がありますように、日頃から仏心をいだき、心の底から将来、極楽浄土に往生するすることを信じ願って日々の行動に努めいた(心願行)、そうすれば必ず往生(決定往生)すると思います。
2009/5/30
命終わるときの心のあり方について
 昔から命が終わることについては一大関心事です。命終わる時の本人と看護人の心構えについてひもといてみました。最近は、医療の発達により病気などで長くわずらうこともあります。本当に当人が望んで余命を過ごせているのか気になる場合があります。臨終を迎えそうな方への心配りとして、@病人が腹を立てるような事は慎みたい。A病人が愛着がある財産などは側に置かない方が心が乱れない。Bお酒を飲んだり、肉などの美食をして、臭いをふりまく人は近づけてはいけない。C誰が見舞いに来たなどいちいち命終わる人には知らせず心を穏やかな環境を維持したい。D大勢が騒々しくしては良くない、などは昔からしてはいけない常識としていたようです。
 いざ臨終に際しては、佛や菩薩像を奉懸し、常に良いお香を焚いて病人が心安らかに出来るよう、周りの人は心がけたいものです。もし、病人に雑念が生じた場合は、「南無阿弥陀仏」と称え心の平生を保てるよう勧めます。臨終の時が来たならば、本尊を病人の目の前に迎えて、耳に口を寄せ「聖衆(佛様達)が光明を輝かせてお迎えに来られた。南無阿弥陀仏と称えなさい」と勧め、一緒に称えます。息が絶えても、しばらくは称えます。そうすれば悪道にに落ちるはずの人が、中有から身を改め、お浄土に生じる事ができるとあります。
 何事も、五感に集中しても、勝手な思いこみにより輪廻苦悩を生じます。ですから、ありまままを先入観なしに受け入れる事により、日頃より(経典を)見る事から(教典を読む)実践することで知識が智慧となり、それにより見仏聞法し、仏道を実践する信仰深き人は、そのおかげから佛の姿が見え、声が聞こえるとあります。実践あるのみという事でしょう。


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