法然上人と浄土宗について

法然上人の教え
 浄土宗は、法然上人(源空)を宗祖と仰いでいる宗派です。
 法然上人は、長承2年(西暦1133年)に現在の岡山県(当時の美作の国)にお誕生になりました。
 幼少にして父を失い、それを機会に父の教えのままに出家し京都の比叡山にのぼり勉学し、当時の仏教・学問の全てを修した後、ただひたすらに仏に帰依すれば必ず救われる、即ち『南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)を口に出して称(とな)えれば必ず仏の共済をうけて平和な毎日を送り、お浄土に生まれることができる』、という他力の教えを広げられました。
 当時の旧仏教の中で、この新しい教えを打ち出した為に、いろいろな苦難が続きました。しかし、当時の『貴族だけの仏教を大衆のために』、と云う教えは、非常な勢いで日本中にひろまり、皇室。貴族をはじめとして、広く一般民衆に至るまで、この導きにより救われたのでした。
 法然上人は、どこにいても、何をしていても南無阿弥陀仏を称えよ、とすすめています。
 南無阿弥陀仏と口に称えて仕事をしなさい、その仏の御名(みな)の中に生活しなさい、と教えています。
 こうした教えが広まるにつれて、その時代の新しい宗教のため、いろいろな迫害を受けましたが、その時でも、法然上人はこの教えだけは絶対にやめませんという固い決意をあらわしていました。また、亡くなる時にも、私が死んでも墓を建てなくてもよろしい、南無阿弥陀仏を称えるところには必ず私がいるのですと言って、その強い信念を示されました。
 建暦2年(西暦1212年)にお亡くなりになり、その後遺言とは反対に多くの寺院が出来たことは、いかに法然上人の教えが我々民衆と共にあり、その教えを慕わずにおられなかったかという、心のあらわれでしょう。
 南無阿弥陀仏の御名は、すぐ口に出して称えられます。出来るだけたくさん口に出して称えるほど、私たちは仏の願いに近づく事になるのです。すると私たちは素直な心になり、今日の生活に必ず光がさし込んできて、生き生きとした、そして、平和な暮らしが出来るようになります。それは明日の生活にもつづいて、日ぐらしの上に立派な花を咲かせてくれます。
 法然上人の教えは、今生きることに喜びを感じることであります。
 念仏を称えながら、充実した日々をお過ごし下さい。
  
宗 歌
 法然上人のご真作といわれる和歌二十三首のうちでも代表的な一首です。
 信仰の世界では仏心を受け入れる心が大切ですが、この歌は、月の光を眺める人の心としてそれをとらえ、お念仏を称える私たちを守りおさめとる阿弥陀仏の大慈悲を暗示した名歌としいえましょう。

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