浄土宗の年中行事予定抜粋



行 事 月 日
1,修正会(しゅしょうえ) 1月1日〜3日
2,御忌法会(ぎょきほうえ) 1月25日(または4月か5月中旬
3,涅槃会(ねはんえ) 2月11日
4.彼岸会(ひがんえ) 3月18日〜 9月20日〜
5,宗祖降誕会(しゅうそごうたんえ) 4月7日
6.花まつり 4月8日
7.お盆 8月13日〜 または 7月13日〜
8,お十夜(じゅうや) 11月
9.成道会(じょうどうえ) 12月8日



1,修正会(しゅしょうえ)   1月1日〜3日
 修正会とは新年を祝い、一年の無事を祈る民俗行事が起こりで、神社・仏閣に共通した国民祭事です。
 浄土宗でも「無量寿経(むりょうじゅきょう)」の一文に「この世は平和で日月は明るく照らし、風や雨は必要なだけ吹いたり降ったりし、災いが起こることなく、国は豊かで民衆は安らかで、武力を必要とせず、徳を重んじ仁を行い、務め納めて礼をわきまえ、譲るべきは譲る」が読まれます。
 これは極楽浄土の様子を説いたものですが、出来ることなら、この一年が浄土のような平和の年になるよう願いを込めて3箇日に祈ります。
2,御忌法会(ぎょきほうえ) 1月25日(または4月か5月中旬)
 法然上人の命日に行われる行事です。これを御忌(おんき)と呼ばずに御忌(ぎょき)と呼ぶのは、大永4年(1524)後柏原天皇の勅命で始められて以来の習わしです。
 この日にはお寺をはじめ、壇信徒の人々も「一枚起請文」を読んで上人を偲びます。
3,涅槃会(ねはんえ) 2月11日
 仏教の開祖・釈迦が八十歳になっても伝道の旅を続け、インド北西部にあるクシナーラのサーラ双樹のもとで、アーナンダをはじめ多くの弟子達に見守られながら入滅したことを記念して行なう行事である。
 涅槃とは永遠のやすらぎということで、入滅を意味する。
 いよいよ息を引きとる寸前に釈迦は、今まで長年付添い、別れを惜しんでなげき悲しむ直弟子のアーナンダに向かって次のような最後の遺誡をのこされた。
 「アーナンダよ、悲しむな。泣いてはならぬ。私はいつも教えていたではないか。すべて愛する者といつしか別れねばならないことを。アーナンダよ、なんじは長い間よくこの私につかえてくれてありがとう。心から感謝する。この上はさらに精進して所期の目的を達成するがよい.アーナンダよ、あるいはなんじらのうちにかく思う者がいるかもしれない。″われらの師の言葉は終わった。われらの師はもはやいない″と。だがアーナンダよ、そう思うのは間違いである。私の肉体はここに滅びても私の教えは永遠に生きている。だから私の肉体を見る者が私を見るのではなく、私の教えを実行する者こそ私を見るのである。私の亡きあとは、私によって説き遺した教えと戒めがなんじの師である。これをよく保ってなんじの師とするがよい」。
 弟子達の厳粛な沈黙の続くなかで、釈迦は、なおも語りかけた。
 「では弟子達よ、私はなんじらに告げよう。この世のことは無常である。放逸なることなく精進努力するがよい。これが私の最後の言葉である」
 このように語った後、静かに眼を閉じられたという。
4.彼岸会(ひがんえ) 3月18日〜 9月20日〜
 わが団は日出(ひいず)る国だけあって、朝日の話題はすぐのぼるが、日没の話はあまり聞かない。
 その点、インドや中国では大陸のせいか、日没の美しさが話題になり、日の没する広野のかなたに来世があると信じられており、『観無量寿経』(かんむりょうじゅきょう)というお経には「日想観」という、太陽を通して仏を念ずる修行が説かれ、中国の善導大師は、「弥陀の極楽世界は日の没する西方にあり、昼夜の長さが同じ春分と秋分の日に西に向かって合掌念仏すれば、浄土に往生できる」
と述べている。
 「暑さ寒さも彼岸まで」といわれるように、春分と秋分のころは季節の変わり目で、その前後七日間を移り彼岸といい、生活に一段落をつけ、先祖に報恩感謝の気持ちをあらわすために菩提寺の彼岸会に参列し、お墓参りをする。
 彼岸とは梵語で「パーラミタ」といい、「到彼岸」という意味で、この世の迷いの岸(現実の世界)から彼の岸(悟りの世界)へ到り、本当の生きる喜びをうるための反省の日である。
 ちょうど春分・秋分の時期は暑からず寒からず、気候の良い季節であり、太陽が東西に沈むところから西方浄土にいますという阿弥陀仏のありかを正しく人びとに示し、その世界に往生させるという本願をとげるために、寺院では彼岸会を営み、多くの人びとが参詣し、お墓参りをするようになった。
5,宗祖降誕会(しゅうそごうたんえ) 4月7日
 法然上人が岡山で誕生したときのことを喜び、上人の遺徳を偲ぶ行事です。法要の日、浄土宗の寺々では法然上人の御影(みえい)を安置して、香華(こうげ)を供え、誕生のとき天から降ってきたという故事にちなんで白旗を2本立てます。
6.花まつり 4月8日
 釈迦は今から二千五百年前の四月八日にネパールのルンビニというところで生まれ、長い修行の末に、「正しく、明るく、なかょく」生きるのが人間として幸せになる本当の道だとさとられ、その教えを自ら集成して仏(理想的人間)になられたのである。その尊い姿を拝むと自然と生きる喜びが湧いてくる。
 花まつりは、その釈迦の誕生を祝い、われも釈迦のような立派な人になろうと誓う日なのである。仏生会・降誕会(こうたんえ)・浴仏会などともいわれるが、現在では一般に(花まつり)と呼ばれている。
  花御堂という桜の花などで飾った小さい堂を作り、その中に甘茶をたたえ水盤を置き、仏像を安置し、参拝者が柄杓(ひしゃく)を使って甘茶を仏の頭に注ぐ、というのが花まつりの作法である。これは、昔、釈迦が誕生したとき、香水をもって洗浴したと伝えられているところによっている。
 東南アジアの仏教国では、釈迦の誕生・成道・入滅の日は、いずれも五月の第一満月の日であるとして、ウエーサク祭りといわれるものが行なわれているが、わが国などの大乗仏教国では、四月八日を「花まつり」として釈迦の誕生を祝っている。堆古天皇の十四年(六〇六)、四月八日に元興寺で催されたのが文献に現われる最初であるといわれている。
7.お盆 8月13日 または 7月13日
 昔から「盆と正月がいっしょに来たようだ」という言葉があるように、われわれにとってお盆は欠かすことのできない年中行事の一つである。
「お盆」とい言葉は『盂蘭盆経』というお経に由来している。
仏弟子の目蓮尊者がある時、亡き母が飢餓に苦しみもだえているのを知って、その救われる道をお釈迦様に訪ねたところ、七月一五日に夏安居(げおんご)の修行を終えた僧侶に、百味の飲食を供養すればよいと教えられ、その通りのことをすると、亡き母は餓鬼道の苦しみから脱することができたと伝えられている。
 この飢餓に苦しんでいる状態を梵語でウランバナ(さかさにつられたような苦しさ)といい、盂蘭盆会はその音写字で略して
「盆」というようになったという。
 このインド発生の個人救済のお盆のいわれが、仏教伝来とともにわが国に伝わり、斉明天皇の三年(六五七)にはすでに飛鳥寺の西で孟蘭盆会が営まれ、しだいに古来からのみたま祭りや農閑期の祭りという、家や地域社会の風習と結びついて、江戸時代以後大衆化し、全国各地で盛大に行なわれるようになった。
 お盆は自分の現在の生き方を反省し、心のふるさとに帰るゆかしい行事である。
8,お十夜(じゅうや)     11月
 浄土宗の寺院で行われる、一定の期間を定めた別時念仏(べつじねんぶつ)の法会です。もとは京都の真如堂で行われた、平貞国の10日間の念仏が起源で、後に鎌倉。光明寺の祐崇(ゆうさう)上人が、後土御門天皇の勅命で行ったのが十夜念仏の始まりです。
9.成道会(じょうどうえ)  12月8日
 成道とは、仏教語で道を完成することをいい、釈迦がインド中央部のプッタガヤーの菩提樹のもとで、三十五歳のときに禅定思惟によって宇宙人生の真理に触れ、仏陀になったことを示す。
 ある時、釈迦は、とりまく人びとから「あなたは一体どういうお方ですか」と訊ねられたことがある。沈黙していると「神様のようなお方ですか」というので、頭を横に振られた。「天使のようなお方ですか」と訊ねられたが、やはり頭を構に振るばかりであった。
「では一体あなたはどのような方になられたというのですか」と、なおも訊ねられたとき、静かにほほえまれながら一言「私は目醒めている者である」と答えたという。
 自分と自分の周囲の世界が本当にどんなものであるかに目醒めた人を仏陀(覚者)といい、釈迦ははじめてそのような人になられたのである。 この目醒めることを別名「悟る」と呼んでいる。
 成道会は、この釈迦の悟りに入ったことを記念して行なわれる行事である。

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