寺報 『朱湯山  −抜粋−


  2000年まで、住職がガリバンで寺報を作成しておりましたが、パソコンでの作成に変更したのを機に内容を抜粋し掲載します。


平成
20年

2008年
1月 ネズミの嫁入り 2月 維摩経U
 3月 維摩経(V)  4月 維摩経(W)
 6月 いいとこ取り  7月 勝鬘経(しょうまんきょう)
 8月 中国製冷凍餃子事件に思う  9月 劫(こう)とは
11月 お十夜 12月 平成二十年を振り返って

平成20年 1月 ネズミの嫁入り
 今、自民党と民主党が政権について色々と言われています。本年は鼠年、そこで何処かで読んだ話を思い出しました。ネズミの嫁入りと云うお話です。ネズミには一人の娘がいました。どこの親でも同じと思いますが、ネズミの両親は天下一の婿を選びたいと考え、そこで世界で一番大きい太陽に婿へどうかと申し入れをしました。太陽が言うには、一番はやはり太陽を遮る雲だと言います、雲は風が吹いたら雲は吹き飛ばされるのでやはり一番は風が一番だと言います。そこで風に話をすると、土塀が有るといくら風を吹かそうが土塀はびくともしません、そこでネズミは土塀に婿になるよう頼むと、土塀はネズミに穴を掘られてかなわないと言います。結局、ネズミが一番だと知って仲間のネズミを選んだという話でした。
 世の中にはこのような例えの話が沢山ありますが、結果、落ち着くところに落ち着く、分相応が良いと言うことの様です。
 今年は十二支の始めの年です。これまで色々な事情で実行出来なかったことをまずは、身近なことから始めると良いと思います。


平成20年 2月 維摩経U
 昨年一二月号の引き続き、維摩について述べますと、ある日舎利弗が浄かな山中で座禅をしていると、たまたま維摩が通りかかり「舎利弗よ、お前さんは何をしているのか」と云うと「座禅をしているのです」と、見ればわかるだろうと答えました。すると、維摩は「それが座禅かな?もし身体を動かさないだけで座禅なら、山の中の木でもみんな座禅をしていることになる。だいたい座禅とは、動静を超越した三昧の妙諦にあるのだ」と、それから諄々と座禅の本旨を説き教えました。舎利弗の言い分は騒がしいところでは心が散って出来ぬと云うのです。維摩はそれがいけないと叱ったのです。静かとか賑やかとか差別することがいけない。萬法一如、一切皆空の境地に安住するようにせねばなりません。こんな歌があります『座禅せねば四条、五条の橋の上、行き来の人を深山木に見て』と、古歌に有るように、今なら差しあたり、サッカーや野球の応援の最中や、人通りの多い街中などで、全ての執念を捨て去り欲念も起こさず、お前のような幼稚な見解は、実に形式の小乗の所作で座禅のまねごとだと教えた人でした。
 前号に戻りますが、釈尊の命により文殊菩薩に従い、多くの弟子達がアンラ樹園の維摩の部屋にやって来ました。これを方丈の場といい、三メートル四方の極めて狭い所の寝台に維摩が寝ています。この部屋に文殊初め十大弟子の他、幾百人というお坊さん達が続々と入ってきましたので、果たしてどうなる事やら、これが奇怪千万の不思議な現象が現れたため、このお経を「不可思議解脱法門経」と呼ばれています。
 さて、いよいよ維摩と文殊の問答が始まりました。
 両者の交わすところは、いずれも大乗の空理に根ざした深遠幽玄な思想です。傍らでじっと聞いていた菩薩達は、その思想の深さに感心して、耳を傾けていましたが、下智の聲聞以外の弟子達はその思想を理解できません。そこで、彼らはだんだん退屈になって来ました。中でも、舎利弗が思うには「この部屋には椅子がないが..。こんなに大勢の人数が何処に座るのか」と、すると維摩は早くも、その思惑を知って、すぐに舎利弗に言いました。「舎利弗よ、お前は法を聞くために此処に来たのか、それとも椅子に掛けたい為に来たのか」と、舎利弗もさすがにきまりが悪く「いえ、法を聞くためです。」と「では、いらぬ事を考えずに一心に法を聞きなさい」と。


平成20年 3月 維摩経(V)
 舎利弗の椅子に腰掛けられないとの答えに維摩は早速神を以て東方の須弥相国の須弥燈王仏の所より、八万四千由旬の高さがあるという椅子三万二千を借りてきて、客の僧侶やその他に勧めました。ここが大乗教理の妙利で三メータ四方の部屋に大多数の椅子が収まって、何ら障害のない所が真空妙有の真相というものです。毛穴に大海を入れるといった教説が、これによって示されているのです。知恵の優れた上智の菩薩は掛けることが出来ましたが、下智の声門以下はとてもそんな高い所に掛けることは出来ませんでした。維摩が申しました。「舎利弗さんの椅子が来ましたのでどうぞおかけください。」とさすが舎利弗は我を祈り須弥燈王仏の加護を受けてやっと椅子に座ることが出来たのです。
 維摩と文殊の問答は長々と続いている内に菩薩たるものが、衆生を見るにどうしたら良いかと論議している時でした。忽然として座中に花のごとき天女が現れました、彼女はしなやかな身を動かしながら、無数の天華を降らしからだに、触れた花は落ちたが、声門以下のものには、そのままについて離れなかった。人々は華を取ろうとしたが中々取れません、そこで舎利弗はたまりかねて「仏弟子の身に華など付けていてはよろしくない。けしからんことだ」とすると天女が言いました。「舎利弗さん、それは無法というものですよ、花に何の咎めがあります、あなた方が、ご自身で分別心を起こして花が付いてはいけぬ。付かぬようにせねばならぬなどと、分け隔ての考えを持っていらっしゃるから、花が付くのですね。菩薩方は、分別心が無いからちっとも付かないじゃありませんか。」と、こうした言葉のやり取りがきっかけとなって、舎利弗と天女の問答となり、またもや舎利弗が散々にやりこめられるのです。
 さて、話は進んでいよいよ、大乗の極致である。「不二の法門」を論ずる一段となりました。不二とは万有の真相を「有」であると共に「空」であるとも編せず、両者を離れた真空妙有の境地であるとあたわずので、前にも述べた般若の空理に外なりません。これがこの本の骨組みとなっています。いま一座の中で三十一人の菩薩達が順次意見を述べるのですが、各自異なった意見ではあるが要するに不二をいろんな方面、角度より説明して片寄った差別のこだわりを離れ平等一相、これが不二の妙境であると云うことに一致しています。文殊菩薩は不二を以て言語の表示を絶したものといいましたが、言葉で言い現せないならば言葉で説明は出来ない筈です。維摩は黙然として一言も発せず、ただ黙っていました。


平成20年4月 維摩経(W)
 これについて、鎌倉時代の学匠と云われる無住禅師の書かれた「沙石集(しゃせきしゅう)」の中に大変おもしろい話がのっています。
 或る山寺で、四人の僧侶(甲さん、乙さん、丙さん、丁さん)が集まって、維摩のこの黙の妙味について実際に勉強しようという事になりました。夕方から会合を始めました。これは黙の実参ですから、その座を無言道場として言葉を厳禁し、給士の外は他人の出入りを止めておいた。ところが、夜が更けるにつれ燈火の油が切れ掛かり灯りが段々と消えかかったところ、甲の僧が給仕を呼んで「早く油を注ぎ足せ」と言いつけた。すると乙の僧がそれを聞きとがめて「無言道場で言葉を出すとは不都合では無いか」となじった。すると今度は丙の僧がとがめて「そう言うお前も言葉を出しているではないか」となじった。最初に丁の僧が手を打って得意げに「黙っているのは俺一人だ」と言って嬉しがりましたが、これで四人とも黙が破れてしまいました。不二だの空だの言っても言葉の上でとやかく言っているだけでは、所詮何の意義も有りません。真実の妙理に到達して、これを体得する所まで進まねば本当の悟りに入ったと言えません。
 かくして、不二の法門物語のあった後、維摩、文殊菩薩、その他の方たちが共にアラン樹園に来て、仏陀に面会する事になり、前に維摩は病気だと言っていたが、今はピンピンしてやってきました。仏陀は維摩の本地、即ち普遍の人でなく、菩薩であつた事など説いています。この経は古来聖徳太子が維摩をもって国民男性の理想とすべく進めています。何故かと言いますと、維摩は出家でなく俗人でありながら、菩薩と対等に仏教を布教されたからです。


平成20年6月 いいとこ取り
 近年、世の中がおかしくなったのだろうか、戦前の教育を受けた者が正しいと思っている尺度とどうもかけ離れた事件、事故をよく目にする。色々な理由が有るにせよ兄が妹を殺したり、隣の住人の女性を切り刻んで平然とし生活していたりする。一方で稽古をつけるかシゴキの狭間で揺れ動いているのが国技の相撲協会です。親方や兄弟子は以前自分が受けた稽古(シゴキ)をそのままに下の者に強要しそれを耐え、はねのけた者が勝ち残る様な文化、習慣、伝統が有るのでしょうか。ここに来て日本人だけでの相撲競技に最近は外国人力士が加わり頭角を現し、今では外国人力士無くしては相撲協会自体の存続が難しい状態まで進んでいるのも現実でしょう。ここにも、これまでの慣習(先輩と後輩)を同じ日本人だけならまだしも、力を誇示し実績を残す外国人選手が居る現状では色々な文化の衝突があってしかりでしょう。何となく今の日本の縮図を見るようです。
 ご存じのように戦後の教育として民主主義と平等、自己主張と自己責任など戦前と異なる思想を一度に敗戦と云う契機で導入されました。戦前の教育を受けた年長者は敗戦で、アメリカ主導の民主主義に対し、以前やっていた輸入品、輸入文化のいいとこ取りと自国に合わせた消化と改善に自信を無くしたのでしょうか。何事も行き過ぎる事は良くありません。身の回りに目を配り、お互いの良いところと、改善した方が良いところを整理し対策を打って、日々精進することを望みます。お釈迦様の幼年時代は王子として本当に恵まれた生活であったと思います。こころざしを立て出家し修行時は生死をさまようような厳しい生活をした結果、お釈迦さまは、何事も行き過ぎる事は良くありません(中道)と弟子たちに説いたとあります。皆さんは、日本文化の中道とはどういうものか、いいとこ取り国家としての本領を各人の身近から発見し、若年者に伝え、自身のより向上のためにも若者からいいとこ取りの実践をおすすめします。


平成20年 7月 勝鬘経(しょうまんきょう)
 五月号に引き続き、勝鬘経についても重要なお経です。このお経は、仏陀が勝鬘婦人の口を借りて大乗無上の深義(じんぎ)を説明したような組み立てになっている教典です。勝鬘婦人はアユジヤ国の友称(ゆうしょう)王の奥方で、コーサラ王のハシノク王とマリー夫人の間に生まれた方で、この婦人はかねがね仏陀の教えを奉じて美しい信仰に入って居られ、ついには夫の大王をも教化し立派な信仰生活に共に入られた方です。
 そんな時、縁あって遠く他国に出したかわいい娘の身の上については片時も忘れる事は出来ませんでした。二人は自分たちの法悦の心境をどうかして娘に教えてやりたいと思い、「勝鬘は家にいたときから大変利発だったので仏の教えを聞かせたらきっと同じ道を求めるだろう」と如来の功徳を褒め称えた書をしたためて娘のところへ使者を使わしました。
 勝鬘はなつかしい両親よりの手紙を非常に喜び、取り急いで読んでみますと、次の様な内容で、何時に変わらぬ手厚い愛情に感激しながら思うに「私もかねがね、御仏の仰せは、世に類無く尊くもありがたいものだと聞いて、これを拝見しては一時も早くお話を受けたまりたいものだ」と、仏陀を念じ、その教化を仰ぎました。すると仏陀は良く心得て、早速婦人の所に姿を現しました。
 婦人の喜びは大変なもので、一心に仏徳を讃歎して、その救済を求めました。仏陀の仰せるのには「私は今世だけではなく、遠い過去世よりあなたを導いてきました。これからも未来永劫変わりなく、あなたを護って行くであろう。」と、このありがたい言葉を聞いて、いかに嬉しく思った事でしょう。早速、自ら志願して十箇条の誓約を仏陀の前に立てられました。
「世尊よ、私は今から悟りを得るまで
 一、受けたところの戒は決して犯しません。
 二、目上の方々に向かってあなどりを起こしません。
 三、すべての人々に対して、いきどおりの心を起こしません。
 四、他人の容姿や持ち物に対し、ねたみ心を起こしません。
 五、有形、無形のどなんものに対しても、おしみ心を起こしません。
 六、自分のために財物を受け、蓄えるようなことをせず、受けたものは貧しい人々へ与え救います。
七、自分のために、四摂法(ししょうほう)を修めず、すべて汚れ無き心、さわり無き心をもって、衆生を修め取ろうと思います。
 八、孤独の者、一人者、病気などの色々な困苦の者を見ては、直ちに適当な方法を考え、それらの衆苦を抜き取り、安楽に導くようにします。
 九、故なく生類を捕らえ、また諸々の戒律を犯す者を見ては、決してそのままにせず、自分の力の限り懲(こ)らすべきはこらし、諭(さと)すべきはさとし、それらの悪行を止めさせよう。この懲らしめと諭しによって正法は永久に保たれると思います。それは楽が満ち、苦が減って正法が直ぐ円(まどか)になるからです。
 十、どんな時でも正法を受け入れて決して忘れはしません。もし、正法を忘れものは、大乗の尊き教えを離れるもので、それはいつまでも凡夫の境界に止まって、決して悟りの彼岸に達することは出来ません。私は、こういう大過を見て、一方正法を摂取する人々の無量の福利を見ますから、この誓いを立てるのです。」と、これを有名な勝鬘夫人の十大受と申して、この後に三大願が起こされました。
 @私は誠の願いによってあらゆる人々を安らかにしたい。そして、
  その善根によって如何なる生を受けても正法の霊智を得たいものだと思います。
 A私は、この霊智に徹した以上、あくことなく全ての人々を教化する事に努めます。
 Bこの正法を摂取するには、私は、身命財産をなげうっても力を尽くしたいと思います。
 何というけなげな心がけでしょう。女性の身で、かくも雄々しく決意を示された事は、誠に尊くゆかしいものです。アスジヤ国内を夫君友称王に勧めて、七十人以上の男女を教化されたという事です。大乗教化をもって、念とした、聖徳太子がこの経を尊重され「日本書紀」第二十二巻に有りますように推古天皇の御前において、この経を講述されたと有ります。天皇が女帝と関係が有ったのかもしれません。


平成20年 8月 中国製冷凍餃子事件に思う
 今年もはや七ヶ月が過ぎようとしている。 今年始めにあった中国産冷凍餃子事件も次第に記憶から薄れようとしているが、あの事件で日本の食料自給率が如何に低いか、改めて認識させられた。いまや日本の食料自給率は四〇%を割り込み、その国内で消費される野菜の六割が中国からの輸入に頼っているのが現状だ。
 一方、北京オリンピックに沸く中国も現在の人口を約十三億人とすると西暦二〇三〇年から二〇五〇年には最大十六億人となる統計があり、ざっと三億人が新たに増え、食料輸出国から輸入国(一部の穀物はすでに輸入している)となりそうだ。このような状況をふまえ、我々は今からでも身近な事から何らかの手を打てたらと思う。
 事件から七ヶ月過ぎて、近くのスーパーでは以前より地産地消を掲げ、県内、九州内の農産物を前面に売り出している店を見かける。中国が食料輸入国になるまでに、今少しの時間がありそうなので、子供や孫の時代に食料で苦労しないためにも、近くの農家を応援(価格や見かけより無農薬など)したいと思う。農家の方には安心安全な食料供給をしてもらい、海外の諸事情に振り回されない、安定した地域社会を構成できるように私たちも地産地消を心がけたいものだ。


平成20年 9月 劫(こう)とは
 もう五十年くらい前のこと、小学校での国語の時間に「劫」という字が出て来ました。その時の参考書には、通り一遍の解釈で良く解らなかったことを思い出します。最近はお通夜の席でこの「劫」について話すことがあるので書いてみます。
 一辺の長さが百メータの大きな升の中に百年に一度、天女がやって来てケシの実をその升に入れます。無量の年数を経て升が一杯になる時間を一劫と云い、これを「ケシ劫」と言います。また、百里(一里は四キロメートル)四方の巨大な岩石を百年に一度天女が降りてきて天の羽衣の袖でひとなでし、百里四方の岩石がすり減り無くなる時間を一劫と云います。これを「磐石劫(ばんじゃくこう)」と云います。碁石を打つ時に劫が出来たら、互いに碁石が取れないので、これから名付けたと言われます。
 関連して永いと云うことで思い出したこととして、「五逆」という言葉があります。
@父殺しA母殺しB聖者殺しC仏身を傷つけるD僧団を破壊するなどの重罪で、これを犯せば無間地獄に落ちるとされています。戦後の仏教国チベットに中国が侵攻した行為などは五逆の一つに当たるのかもしれません。


平成20年11月 お十夜
 お十夜の法要とは字の通り十日十夜と申して、ちょうど秋の米収穫時期の十月から十一月にかけて、十日間夜に法要をします。
 『無量寿経』には「この土に於いて善を修すること十日十夜念仏を申すれば、他方諸仏の国土に於いて善を修すること千歳するに勝る」とあります。これは、極楽と云うところは、善い行いばかりで悪行をする者が少ないが、現世では悪行のみ多くて、善を行う者少なく、善が出来にくいのです。ですから、現世では十日十夜善を行えばあの世で一千年修行したのにまさるということです。
 善を行うことは欲得を離れて無我の境地にあって、善を修することで、例えば子供が転んでは怪我はないかと助け起こす。また、年寄りが交通量の多い所を渡ろうとした場合、手をつないでいっしょに道を渡る、荷物を持ってあげても良い。ちょっとした善を行うことが肝要です。人の善意や弱みにつけ込んで、最近は振り込め詐欺などが多いので、なかなか善の実行となると難しい現在ですが、仏教では、私心、欲心を忘れて自我を脱却した心の状態で、善の実行を実施したいものです。
 お十夜の起源として少し述べてみますと、今から約七百年の昔、花園天皇の時代、足利善教の執権の平貞国と云う人が真如堂に参範して念仏会を修したのが始まりです。その後自分の意にかなわぬことがあり、鎌倉光明寺に移され、十日十夜の法要となり、やがて浄土宗の宗教行事として全国に広まったのです。以前は、時期がちょうど米の取り入れ時となり、収穫の喜びと重なり、農夫が孫の手を取り「今日は十夜だ一年の最後の法要。いっしょに寺参りし、善行を積み良い縁談やよい子の躾けにもなる」と思い、お参りしては孫を膝に乗せ、いっしょにお説教を聞いたものです。
 現在の忙しさにかまけて、お念仏を忘れがちになってしまう事もある我々ですが、お念仏を称える習慣を持ち、そして、あらゆるものに対して、感謝の心を忘れない生活を送りたいものです。


平成20年12月 平成二十年を振り返って
 平成二十年も残り少しとなりました。年を重ねると一年が早く感じるのは全般的に色々な事に鈍くなってきた為と思います。
 今年を振り返ってみますと、極楽寺が完成し、未だに落慶法要ができない事が何より気がかりです。それと私の身体の衰えを感じてきた事です。然し、父の年齢までにはまだ十数年があり、まだまだ仕事をしたいと思っています。ついては、次の事をお願いしたいと思っています。
  一、毎月の寺報について、盛り込んで欲しい情報や改善点をお知らせ下さい。
  二、長泉寺納骨堂の改装に合わせ一時預かり骨壺や位牌の確認整理をします。
    心当たりの人は申し出て下さい。
  三、ご法事(年回)の時には、衣替え(ころもがえ)のご用意をお願いいたします。
    「衣替え」とは、亡くなった人の着物が朽ちて可哀相なので着物を着替えて
    頂く為に、 晒(さらし)しを供えています。以前は白衣を縫って寺院に納めたり
    していました。
 今年は色々なことがありましたが、着実に日々改善の精神で寺を盛り上げて行こうと思います。皆さんもご多忙とは存じますが、寺行事にもう少しのご参加を是非お願いいたします。

         
平成19年 2007年 寺報 朱湯山 はこちら




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