寺報 『朱湯山  −抜粋−


  2000年まで、住職がガリバンで寺報を作成しておりましたが、パソコンでの作成に変更したのを機に内容を抜粋し掲載します。


平成
21年

2009年
1月 平成二十一年 正月 2月 人生は苦なり
 3月 「怨み」は怨みによって鎮まらない  4月 尸迦羅の六方礼経
 5月 四穢業と四悪業  6月 蕩尽の六口
 7月 東方拝  9月 行事報告
10月 秋季彼岸会 12月 平成二十一年を振り返って

平成21年 正月
 昨年平成二十年は、盆過ぎより色々と景気減速だの、世界恐慌だのと世間は騒いでいます。確かにガソリンの高騰は大変弱りましたが、最近は以前に戻ったり、為替が百二十円だったのが、九十円を切る円高など経済を取り巻く環境は激動の入り口の様でしす。以前は、アメリカがクシャミをすると日本は風邪を引くや、寝込んでしまうなどと云われた時期もありましたが、今回は世界が寝込むような百年に一度、五十年に一度の世界恐慌などとテレビや新聞は報道しています。契約社員解雇や、新卒者の契約解除は、大変気の毒とは思いますが、他山の石とせず何か出来ないかと、節約に精を出す日々です。
 一月と云いますと、たしか昭和二十七年の事だと思います。極楽寺がまだ「別府方面布教所」として活動していた頃です。お寺としての地盤を作るために、布教所から寺院への手続きに色々と苦労した事を思い出します。また、宗教法人法改正があり、国東武蔵野の専念寺、極楽寺、長泉寺の寺院規則制定、極楽寺の改修や極楽寺東側の土地の取得、長泉寺の移転(血の池地獄横地より現在の場所へ)、長泉寺墓地の買い戻しなど随分と税務署や法務局などの役所に何度も足を運んだ事を思い出します。何事にも、先立つものが必要で、壇信徒の皆様に無理を言いご寄付を頂きました。不足分は、妻(ハル)より大半を負担してもらい、長泉寺移転と同時に現長泉寺住職に就任させて頂いたことを昨日のように思い出します。八十三歳になった今、振り返り、なつかしいものです。
 父(正教)は、役僧として大分の浄土寺へ行っている時に、長泉寺の前住職(後藤上人)から長泉寺を引き継いでからは、長泉寺の再興を切に願い、三十六年間に渡る寒行を行い、その浄財を長泉寺移転、建設費用に充てたり、水子地蔵尊の建立などお念仏を通して、一僧侶として極楽往生の範を実行で皆に示すよう努力していました。また、父は毎年四月の知恩院での御忌(法然上人の回向)に大分地区代表として長きに出席したことにより、本山より二階級特進の紺の衣が着られるようになったのも、今の私と同じくらいの年齢だったと思います。
 父も私も、いろいろと慌ただしい時間を過ごしてきたように思いますが、今年こそは丑のごとくゆっくりと生活出来ればと思います。壇信徒の皆様、本年もよろしくお願いいたします。


平成21年 2月 人生は苦なり
 お釈迦様が我が子であり、弟子である「らごら」尊者に「二を超えろ」と「羅ら羅経」で親切に説いています。
 人生はみな二つです。生といえば死、幸福といえば不幸、表といえば裏、男といえば女、勝者もあれば敗者があり、病気と健康、若者と老人、徳といえば損、貧といえば富、人生みな二つのことが同居しています。この二つを比べて一喜一憂しているのが、私たちでしょう。「二を超えろ」というのは、そのどちらにもとらわれず、永遠に変わらぬ世界に生きろという事です。
 書いている内に、市内のある人よりこんな電話があったことを思い出しました。その人は、毎日が怖くて眠れないとのことでした。どうしてかと聞くと、家の近くに火事があり、老女(七二歳)が火事で焼死したとのこと。当人はカリエスで歩行が困難な為、いざというときにすぐに外に逃げ出せないし、家も木造で古く焼けやすいので、一晩中眠れないと言って来ました。近頃、火災で煙に巻かれ死亡する方が多いのは確かですし、出入り口が一カ所しかない家では、本当に火災の時はどうしようかと思うい夜眠れないのはお気の毒です。少しでも時間をみて眠る事を勧めましたがなかなか解決しそうもありません。これも眠る事と起きている事と対称的だなと思いました。色々な事を気にして生きていて、身体を壊しては何も成りません。
 もうすぐ春の彼岸です。今年は、三月十七日が入りで二十日がお中日、二十三日までが彼岸と成っています。寺参り、墓参りなど、ご家族でお出かけ下さい。


平成21年 3月 「怨み」は怨みによって鎮まらない
 この表題は「法句経(ほっくきょう)」第五番に出てきます。
 今も昔も世の中は、怨みの連鎖が渦巻いております。その怨みを断ち 切るのは何か。 日本は戦争中(第二次大戦)英国の基地のあった、セイロン島(現在のス リランカ)に対し繰り返し爆撃を繰り返し多大な被害を与えました。
戦後六年過ぎ、サンフランシスコ対日講和条約が結ばれたとき、スリランカ代表のリチャード・ジャヤワルデ前大統領はセイロン政府を代表して、法句経第五番の言葉を引用し、その賠償請求を放棄しました。
 日本は、こうした業績を顕彰しようと、スリランカの農村に住宅を送る運動をしてアジア文化交流会が講和条約締結四十周年を迎えた一九九一年四月二十八日に、その顕彰碑として、鎌倉大仏の横に建立しました。その顕彰碑には次のように訳され彫られています。

 『人はただ愛によってのみ、憎しみは超えられる、人は憎しみによっては、憎しみは超えられない』

 浄土宗開祖の法然上人は九歳の時、父を夜襲によって失うが、その父の遺言は「汝敵人を恨む事無かれ」でした。果せるかな、法然上人は父の仇を恨む事なく「怨親平等」において、救われる道を切り開いたのです。後に、法然上人は「幼児の昔より成人の今に至るまで、父の遺言忘れがたくして・・・」と述べて、生涯、求道精進されたのです。
 事実、法難(宗教への弾圧)に際しては、法然上人は「流刑さらに怨みとすべからず」と言い切っておられます。「怨みは怨みによって鎮まらない」怨みを超える、大きな願いのなかに生きたいものです。


平成21年 4月 尸迦羅の六方礼経
 六方礼経をこれから出来るだけ解説しようと思います。
  先ず私たちの人生はたくさんの人の縁によって支えられています。お釈迦さまの宇宙観の基本は、「縁起」といいます。あらゆる物事は、多くの色々な条件の集合で成り立っています。人と人との出会いも「縁起」です。袖すり合うも多生の縁であり、支え合いであり、助け合いは人生を開き、人生を生かすものです。
 お釈迦さまは、「縁起なるものは無常である」と言いました。あらゆる条件の集合で成り立っている物事は、条件が変われば結果もおのずと変わるもので、常とは変わらないと云う字ですから、無常は「変わる」という事になります。人との縁も変わります。いつ壊れるかわかりません、だから、縁を大切にし、守り育てるものです。「お陰様」とは、その多くの縁に感謝する言葉で、ご縁が長く続き良かったと云える人生にする事で、互いに喜ばしい人生を送る事が出来るのです。ではこれより六方礼経について書いてみます。
 これはお釈迦さまの人間関係学とも云える尸迦羅教戒経(シンガーラキョウカイキョウ)に書いているものです。
 私は、かように聞きました。ある時、世尊は、王舎城(ラジギール)の迦蘭陀竹園にご滞在になった時の事。その朝、長者の子、尸迦羅(シンガーラ)は、早く起きて王舎城から出て、衣も髪も洗い清めて、東方西方、北方、南方、下方、上方の諸法を拝していた。ある時、世尊は朝着(下着)と鉢と上衣を取られ、王舎城に乞食に入られた時のこと、尸迦羅(シンガーラ)は、早朝起きて王舎城から出て衣も髪も洗い清め合掌して、東方、西方南方、北方、下方、上方の諸方を拝しているところをごらんになり、尸迦羅(シンガーラ)汝はどうして朝早く起きて王舎城から出て衣も髪も洗い清めて東西南北上下の諸方を拝むのかと尋ねました。尸迦羅(シンガーラ)は、「私の父が臨終の時に汝は諸方を拝んでくれと申した」ので、私は父の言葉を尊重恭敬し、早朝く起きて諸方を拝むのです。
 世尊は、聖者の行規(聖律)においては、そんな風に六方を拝むのではないと言いました。尸迦羅(シンガーラ)は、世尊に「どうか私に聖者の行規ではどのように六方を拝むべきなのか法のままにお示し下さい」とお願いしました。世尊は良く聞くようにと促しながら「四つの穢れた業(心と行動)を捨て去り、悪しき業をせず、財産を蕩尽する、六つの口に従わず、そうすれば彼は霊より遠ざかり、六方を護っている為に、三世(過去、現在、未来)の勝利に向かい、この世も、彼の世(死後の心の世界)も、楽しく、身懐命終(しんえみょうじゅう)の後に善趣天界に生まれる」とおっしゃいました。


平成21年 5月 四穢業と四悪業
 ・四穢業(しえごう)
 前月号につづき、どうして、四つの穢れたる業(ごう)を捨て去るか、と言う事で善逝(ぜんぜい)、世尊はが仰せられた。
 @「エゴの為に」生き物を殺す「殺生(せっしょう)」は穢れたる業である。
 A与えられられないものを取る「偸盗(ちゅうとう))」穢れたる業である。
 B諸々の愛欲における邪な「邪淫(じゃいん))」穢れたる業である。
 C偽りの言葉「妄語(もうご))」、穢れたる業である。
 ・四悪業(あくごう) 
 更に、世尊は次のようにも仰せられた。
 @欲によって非道を行くが故に悪業を作る。
 A瞋(いか)りによって、非業を行く故に悪業を作る。
 B癡(ち)によって、非業を行く故に悪業を作る。
 C怖畏(ふい)によって、非業を行く故に悪業を作る。

この様な事なので、長者の子は決して
 @欲によって非道を行わず、
 A瞋(いか)りによって非道を行わず、
 B癡(ち)によって、非道を行わず
 C怖畏(ふい)によって、非道を行わないようのである。
 さらに次のように世尊は言われた
「欲と瞋と癡と怖とにより法を越えざる人は皆、おのが誉れの満ちゆくは、十五夜前の月(白分の月)の如し」


平成21年 6月 蕩尽の六口(とうじんのろっく)
 如何にして、財産を蕩尽する六口に従わないのか
T 酔と怠の原因となる酒類に飲み浸るは、実に財産を蕩尽する口である。
 ・長者の子よ、酔と怠の原因となる酒類に飲みびたる時は、六つの損失がある。
 @現に財産を失い
 A闘争を大きくし 
 B病の元となり
 C悪い噂を生じ
 D恥を知らず
 E慧力を弱める
U 時刻外れに街道を徘徊するは、財産を蕩尽する口である。
 ・長者の子よ、時刻外れに街道を徘徊する時は、六つの損失がある。
 @彼自身も護られず
 A彼の妻子も護られず
 B財産も護られず
 C悪事のあった時は心配で
 Dそんな時は流言が行われ
 E種々と苦しみが従ってくるものである
V 祭礼歌舞に浮かれ歩くは、財産を蕩尽する口である。
W 怠けの原因となる賭博にふけるは、財産を蕩尽する口である。
 ・長者の子よ、怠けの原因となる賭博にふけると、六つの損失がある。
 @勝った者に怨みを生じ
 A現に財産を失い
 B法廷に立って申し開きが立たず
 C知友に軽蔑され
 D婚姻が成り立たず
 E博徒(ばくと)は妻子を十分に養えない
X 悪友と交わるは、財産を蕩尽する口である。
Y 懶惰(らんだ)を事とするは、財産を蕩尽する口である。


平成21年 7月 東方拝
 釈尊は、長者の子に以下のように言った。
友を選ぶには、
 1.助けるな。2.苦楽を共にするな。3.忠言を与えるな。4.慈しみを与えるな。
この四人は賢者と知って大切に交わりなさい。母の我が子に於けるがごとく、賢者は戒を守り、財を集め、蜜蜂のごとくに働き、財を集め有為の良家の主となり、四つに分け一つは暮らしに、二つは家業を営み、三つは生活に困っている人に施し、四つは蓄えたなら、災厄にあやう事なし、と。この様に言われて、
 長者の子は如何にして六方を守るか
 @東方は父母なりと知りなさい。
  子は1.育てられたので父母を養い、2.父母へなすべき事無し、3.家を維持し、
    4.財産と相続を正し、5.父母の死後は施しを為す。
 父母は1.子に悪を止め、2.善にしつけ、3.学芸を学ばせ、4.適当な妻を会わせ、
    5.程良い時に家を相続させる。
 父母はこの五処をもって子をかわいがる。この様にして東方は守られて安楽にして怖れる事がない。


平成21年 9月 行事報告
@お施餓鬼法要(せがきほうよう)
 今年は八月二日(日)にお施餓鬼法要を無事終えました。今年の夏は、長雨で法要当日も曇り空の中、水子供養、お施餓鬼法要を厳修し、各ご家庭の先祖供養が出来ました。法要に参加出来なかった方も来年はぜひ御参加ください。また、各家庭のお盆のお参りもつつがなく終わりほっとしている次第です。
A精霊流し
 今年の精霊流しは、例年の約半数の精霊船でした。幸上人も参加し、僧侶三名で新仏の精霊のお見送りを、ご家族の方々と共に、今年も無事に出来たことを大変うれしく思っています。朝方心配された雨も無く、海も大変穏やかで波もなく、皆さんの日頃の精進の良さを感じながらお念仏を申してのお見送りとなりました。


平成21年 10月 秋季彼岸会
 今年も九月二十三日(水)にやすらぎ霊園にて、無事お彼岸の法要を無事終えました。朝少し雨が降りましたが、法要時分には雨も収まり曇りの涼しい中での法要と成りました。







平成21年 12月 平成二十一年を振り返って
今年もはやいもので、十二月となり年を取ったためか、何事もゆっくりとした一年でした。皆さんはどのような一年でしたか。来年は私も年男です。しっかり気持ちを持ち、百才までは何かと頑張りたいと思っています。最近は体調も良く、銀杏の実を拾うのに忙しくしています。皆さんも楽しみや張りのある生活を見つけ、百二十才まで元気で生活をして頂き、法然上人の八百年の遠忌を迎えたいものです。
         
平成20年 2008年 寺報 朱湯山 はこちら




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